風浪宮の歴史と由来
風浪宮は、福岡県大川市に鎮座する由緒ある神社で、地元では親しみを込めて「おふろうさん」と呼ばれています。その創建は約1800年前にさかのぼり、神功皇后の新羅外征にまつわる伝説と深く結びついています。伝説によると、神功皇后が新羅からの帰路、筑後葦原の津(現在の大川市榎津)に立ち寄った際、皇后の乗船の近くに白鷺が突如として現れ、東北の方角へ飛び去ったとされています。
神功皇后は、この白鷺を勝運の道を開いた少童命(わだつみのみこと)の化身と解釈し、白鷺が止まった場所に社殿を建立しました。これが風浪宮の始まりとされています。現在も境内には、この伝説にまつわる「白鷺の樟」と呼ばれる樹齢約2000年の大樟が県の天然記念物として威容を誇っています。
文化財と建造物
風浪宮の本殿は、戦国時代の武将である蒲池鑑盛によって再建され、桧皮葺の三間社流造の様式を持つ優美な建造物として、国の重要文化財に指定されています。また、境内には正平十年(1355年)の銘が刻まれた五重の石塔(正平塔)があり、これも国の重要文化財として保護されています。この石塔は、二重基壇の上に五層の軸部と屋根を重ねた独特の構造を持っています。
信仰と参拝
風浪宮は、勝運守護と開運の祈願社として広く知られ、江戸時代には久留米有馬藩主をはじめとする多くの人々の信仰を集めました。現在も筑後地方一帯から多くの参拝者が訪れ、地域の精神的な支柱となっています。
境内と周辺環境
風浪宮の外苑には21,000平方メートルにも及ぶ大川公園が整備されており、数百本の桜をはじめ、ツツジや紅葉など、四季折々の自然美を楽しむことができます。この公園は市民の憩いの場として親しまれ、多くの人々が訪れています。
磯良丸神社
境内の一角には、神功皇后の船団で海上指揮を執った阿曇磯良丸を祀る磯良丸神社があります。磯良丸は風浪宮の初代神官となり、現在の宮司まで67代続く一系の祖となりました。現代の船舶の名称に「丸」が付けられる習慣は、この磯良丸に由来するとされています。
風浪宮大祭
毎年2月9日から11日にかけて開催される風浪宮大祭は、久留米高良大社や水天宮の祭りとともに、筑後地方の三大祭りの一つとして数えられています。祭りは2月8日夜の厄除けを祈願する「裸ん行」から始まり、「お潮井汲み」「お潮井詣り」「御神幸」「流鏑馬」など、古来から伝わる様々な神事が執り行われます。
現代の取り組み
風浪宮は平成31年より、国や県、市の助成を受けて、国重要文化財である本殿の修理事業を進めています。令和3年には御鎮座1820年を迎え、これを機に「百年の杜記念事業」を実施。将来の世代に向けて、地域の宝である風浪宮を保存・継承していくための様々な取り組みを行っています。
このように風浪宮は、古代から現代に至るまで、地域の歴史と文化を体現する重要な存在として、人々の信仰と暮らしに深く根ざした神社として、その役割を果たし続けています。
アクセス
風浪宮へのアクセスは車が良いです。
駐車場は道路を挟んで真ん前にあります。