【福岡市】香椎宮

神社

香椎宮の歴史と意義

創建と由緒


香椎宮は、仲哀天皇と神功皇后にまつわる深い歴史を持つ神社です。200年に神功皇后が亡き夫である仲哀天皇の神霊を祀るために建立したことが始まりとされています。その後、723年には神功皇后を祀る宮が造営され、これらを合わせて香椎廟と呼ばれるようになりました。

神功皇后の功績


仲哀天皇は筑紫国での統治において重要な役割を果たし、国造りの基礎を築きました。その遺志を継いだ神功皇后は、三韓出征を成功させ、日本の国際的地位を確立する功績を残しました。特筆すべきは、神功皇后が懐妊中にもかかわらず三韓征伐を行い、無事に応神天皇を出産したことから、安産の御利益がある神社としても広く信仰されています。

平安時代の繁栄

平安時代、香椎宮は九州において宇佐神宮に次ぐ重要な位置を占め、伊勢神宮、氣比神宮、石清水八幡宮とともに「本朝四所」の一つに数えられるほどの格式を持っていました。朝廷からは定期的に使者が派遣され、その重要性が示されています。

中世から近世の変遷

中世から近世にかけて、香椎宮は様々な変遷を経験しました。1140年には社領の変更があり、その後も石清水八幡宮や大友氏の支配下に置かれるなど、統治体制の変化を経験しています。1586年には島津氏の侵攻により社殿が焼失するという苦難も経験しましたが、その都度、復興が図られてきました。

江戸時代の発展

江戸時代に入ると、福岡藩主の黒田氏から厚い崇敬を受け、社領の寄進や社殿の再建が行われました。特に現存する本殿は、1801年に10代藩主黒田斉清によって再建されたもので、国の重要文化財に指定されています。この本殿は「香椎造」と呼ばれる独特の建築様式を持ち、他に類を見ない貴重な建造物となっています。

明治以降の歩み

明治維新後、香椎宮は1871年に国幣中社に列せられ、1885年には官幣大社に昇格しました。1924年には10年に一度の勅使参向も定められ、その格式の高さが維持されました。現在は神社本庁の別表神社として、重要な神社の一つとして位置づけられています。

境内の建造物

境内の建造物は、本殿、幣殿、拝殿を中心に構成されています。本殿は桁行三間・梁間三間の入母屋造で、独特の「香椎造」様式を持ちます。幣殿は勅使が幣帛を捧げる場所として特別な意味を持ち、拝殿には「香椎宮」の勅額が掲げられています。また、中門や回廊、楼門なども配置され、荘厳な雰囲気を醸し出しています。

結び

このように香椎宮は、古代から現代に至るまで、日本の歴史や文化、信仰の重要な一端を担ってきた神社として、今日もなお多くの人々の信仰を集めています。その建築様式や歴史的価値は、日本の神社建築の中でも特筆すべきものとして評価されています。

アクセス


駐車場がありますので安心して寄る事が出来ます。

亀乃池には本当に亀がいましたw

タイトルとURLをコピーしました